“幸せになりますように”
とただただ拝んでただただ過ごす
“拝んでいれば神や仏が素晴らしい道
あるいは安全な道を歩ませてくれる”
“拝んでいれば自分の人生は安心安全に守られる”
“あの人が(自分の事を)拝んでくれたら安心だ”
そんな在り方を一度見直してみよう。
拝んで過ごして手ごたえのある部分は
『いつも有難うございます』
という“感謝”の部分だけ
それはサポーター達との関係性は作る
だけど
サポーターは感謝では動かない
決めて行動しない限り動けない
大前提として
道を描くのは自分だ
神や仏が拝んで道を作るのでは無い
自分はこれを実現すると決める
そしてを行動する
これまで拝み屋をしてきたなって人は
「自分は拝み屋じゃねーんだよ!!」
って拝み屋をしてきた事を笑い飛ばして
前に進もう☆
自分が幸せな未来を描いていい
神や仏に気を使わなくていい
素敵な未来・素敵な自分を描いていい
自分が自分の人生の主人公でることを
気付けた事に感謝をして前に進もう☆
主体性を持って生きる
エネルギーを自分に戻していく
ちゃんと目を覚ます
